July 18, 2005
音楽とは何ものか。1
僕の尊敬する音楽家、指揮者のセルジュ・チェリビダッケは作曲から音楽について、とあるインタビューに答えている。作曲家が作った世界と言うものは存在しない。作曲家はこうすれば音楽ができる、単なる音を超越したものになれるという方法を示したにすぎない。だからそれ自体が存在しているわけではなく、演奏によってそれを越えたものが発生するかどうかということだ。
生み出す側からいうと、楽譜を読んで頭の中にイメージがある。そのイメージは、曲の流れ、あるいはその流れる時間のなかに顕われるのではなく、<同時的>なものだ。部分部分を歌うのだけではなく、すべてが一体とならなければ音楽は生み出せない。それが音楽の才能というものだ。一つの音を出しながら、その音の中に曲のすべてがある。
ある音だけがあるのではなくて、その音が次の音を含んでいる。それは時間との関わりにおいてあるが、時間の経過とともにあるのではない。フォルテがフォルテで終わってしまったら音楽ではない。
こんなこと述べている。異能、異端指揮者として悪名?高いチェリビダッケ。しかしこれはまとを得ていると僕は思う。確かに音楽は、こんな簡単にはもちろん言えない。言葉不足である。そもそも、言葉で言えることかどうかも分からない。でも、確信をついていると思う。<同時的>なもの、<始まり>と<終わり>の<同時性>。音楽の生成、発生。これだけでも、多々な問題提起?かもしれない。
ただ、これが少しでも分かれば、演奏家も聴衆も、われわれ作曲家も、音楽のテーゼを理解出来るのではないかとよく思う。
自分の耳を信じて、自分の耳でイイと思ったもの。そういうものが世の中に溢れることが本当に重要だと思う。こういう世界になることを祈って。
次回へ続く?
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セルジュ・チェリビダッケ指揮/ミュンヘンpo [AUDIOR/AUD-7001〜2]

コメント・トラックバックありがとうございます。
何かスゴイ充実しているブログですね。時間がある時にブログをじっくり読まさせてもらいたいと思います。
これからもどうぞよろしくお願い致します。