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August 15, 2006
没後10年
昨日、8月14日は我が尊敬する偉大なる音楽家であるセルジゥ・チェリビダッケが亡くなって10年(没後10年・10周忌)でした。チェリビダッケについては、とてもではないけど語り尽くせません。自分の音楽−このような言い方は正しくないかも知れません。音楽、純粋たる音楽。音楽への向きあいかた・姿勢−に多大な影響を与えた人物です。
ゆっくりと、ミュンヘンフィルハーモニーとチェリビダッケの黄金コンビのモーツァルトのレクイエムを聴きながら。。。
April 28, 2006
最近。。。
色々思うところがあります。。。ただ、忙しい?日々のルーティーンワークに流されつつも、、、
毎日のように学校に行く用事が最近あるので、大変。。。
思うこと(もちろん音楽に関すること)、
「音楽」に対する根本的な考えは変わらないのですが、姿勢には少し変わりが出て来たのです。一つ原因は「カルチャーショック!」(苦笑)。
「芸術(藝術)」と「芸能」に関することや、「現代音楽」と言われるもののあり方、考え方、そして「生成」、音楽の根本原理「音楽現象学」。いろいろと、考えて来てはいたのですが、もうちょっとしっかりと考えてみたいと思いつつ。
そして、音楽での課題は、イギリス〜アメリカへ渡った独特の管弦楽技法を身につけること。ハリウッドスタイル管弦楽技法です。存在は知っていたのですが、映画はほとんど見ない。アメリカ音楽は聴かない。イギリス音楽も聴かない(ホルストの「惑星」も聴いたことはあるものの好んでは聴かない)。だったので、1年くらいしっかりかけて勉強してみようと思います。
小生、今までは、ドイツ的ロシア的管弦楽技法を用いて来ました。フランス管弦楽技法にも凝っていた時があり、欧州管弦楽技法で、重厚な響き、そして、オーケストラの鳴りを最大限に生かすという技法しかほとんど知らなかったのです。
実際にハリウッド的管弦楽技法を用いる機会と言うのは、あるかないか分かりませんが(きっとないことかとも思います)、何かの役に立つような気が凄くします。
管弦楽技法については、今度、また詳しく書きたいとは思います!
July 30, 2005
音楽の本質へ
先週ぐらいの朝日新聞に、指揮者の佐渡裕さんのインタビュー記事が寄せられていた。こんなことが書いてある。訪問先の小学校で「世界的指揮者・佐渡」をやっきになって紹介する校長先生に「知らーん」とかました子どもたちのことを、さも愉快そうに話す。
「演奏者が有名であろうがなかろうが、子どもたちには関係ないですからね。プロの音楽家なんだったら、音楽そのものを面白いなと思わせなかったら、弾く権利がないと言っていいくらいだと思うわ」
こんなことが書いてある。
僕はこういいかえたいと思う。
「演奏者が有名であろうとなかろうと、プロであろうとなかろうと、聴いている人たちには関係ない。ましては、プロの音楽家、プロを目指す音楽家なら、音楽の本質をとらえ、音楽の生成を感じさせ、音楽が生きているように演奏(作曲しなかったら)しなかったら(聴衆に音楽で興味を持たせなかったら)弾く権利、(作曲する)権利がないと言っていいくらいだ」
と僕は言いたい。作曲論はまだまだ言い尽くせないが、、、
あまりにも、地位とか、経歴とか、名誉とかに流され過ぎて音楽を聴いてはいないだろうか?
あまりにも、他人の耳で聴いた、既得権益の音楽を聴いてはいないだろうか?
あまりにも、自分の耳で聴いた音楽を聴いてないのではなかろうか?
そして、
すべての音楽家に、
あまりにも、音楽の本質をとらえず目先だけで音楽をしていないだろうか?
あまりにも、音楽の生成感を味わずに音楽をしていないだろうか?
あまりにも、自分の耳で自分の音楽を聴いてないのではなかろうか?
もちろん、
そういう事を感じて音楽をしっかりやっている人もたくさんいると思うし、そういう事を感じて音楽を聴いている人もたくさんいると思う。
そんな人たちを信じたいし、応援したいし、自分は常にそうでありたい。
July 18, 2005
音楽とは何ものか。1
僕の尊敬する音楽家、指揮者のセルジュ・チェリビダッケは作曲から音楽について、とあるインタビューに答えている。作曲家が作った世界と言うものは存在しない。作曲家はこうすれば音楽ができる、単なる音を超越したものになれるという方法を示したにすぎない。だからそれ自体が存在しているわけではなく、演奏によってそれを越えたものが発生するかどうかということだ。
生み出す側からいうと、楽譜を読んで頭の中にイメージがある。そのイメージは、曲の流れ、あるいはその流れる時間のなかに顕われるのではなく、<同時的>なものだ。部分部分を歌うのだけではなく、すべてが一体とならなければ音楽は生み出せない。それが音楽の才能というものだ。一つの音を出しながら、その音の中に曲のすべてがある。
ある音だけがあるのではなくて、その音が次の音を含んでいる。それは時間との関わりにおいてあるが、時間の経過とともにあるのではない。フォルテがフォルテで終わってしまったら音楽ではない。
こんなこと述べている。異能、異端指揮者として悪名?高いチェリビダッケ。しかしこれはまとを得ていると僕は思う。確かに音楽は、こんな簡単にはもちろん言えない。言葉不足である。そもそも、言葉で言えることかどうかも分からない。でも、確信をついていると思う。<同時的>なもの、<始まり>と<終わり>の<同時性>。音楽の生成、発生。これだけでも、多々な問題提起?かもしれない。
ただ、これが少しでも分かれば、演奏家も聴衆も、われわれ作曲家も、音楽のテーゼを理解出来るのではないかとよく思う。
自分の耳を信じて、自分の耳でイイと思ったもの。そういうものが世の中に溢れることが本当に重要だと思う。こういう世界になることを祈って。
次回へ続く?
May 26, 2005
March 22, 2005
チェリ!
思わず?長電話、、、相手には申し訳ないけど、色々と分かってもらえたはず。。。やはり、辛い事も、きつい事もある。
でも、与えられた使命を送るしかない。チェリがある意味教えてくれた、、、全ての
物が教えてくれた。感謝!感動!
音楽を制する事は不可能、もちろん、制する必要もない!
必然と、本質、、、
チェリビダッケは凄い。。。酷いのもあるけれども。。。
ただ、僕はそれをCDでしかいま聴く事が出来ない、、、あぁぁ、、、
チャイコのロミジュリすごい。。。
でも、あぁぁ。。。
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音楽の本質。
格好も一理ある。お洒落も一理ある。
くだらん、商業も一理ある。
経歴も一理ある。
ヴィルトゥオーゾも一理ある。
藝大も一理ある。
コンクールも一理ある。
ただ、求めているのは、あなたの本質なのです。
ただ、それだけ。
もちろん、音の必然、音の能力、音の限界、音の音楽性、、、もあるけれども、あなたの本質だけ、音楽の必然。
必然もある。
求めているのは、彼方の本質なのです。
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