Warning: mysql_num_rows(): supplied argument is not a valid MySQL result resource in /home/sites/lolipop.jp/users/lolipop.jp-dp09049503/web/~blog/nucleus/libs/BLOG.php on line 748

July 30, 2005

音楽の本質へ

先週ぐらいの朝日新聞に、指揮者の佐渡裕さんのインタビュー記事が寄せられていた。こんなことが書いてある。

訪問先の小学校で「世界的指揮者・佐渡」をやっきになって紹介する校長先生に「知らーん」とかました子どもたちのことを、さも愉快そうに話す。
「演奏者が有名であろうがなかろうが、子どもたちには関係ないですからね。プロの音楽家なんだったら、音楽そのものを面白いなと思わせなかったら、弾く権利がないと言っていいくらいだと思うわ」


こんなことが書いてある。
僕はこういいかえたいと思う。

「演奏者が有名であろうとなかろうと、プロであろうとなかろうと、聴いている人たちには関係ない。ましては、プロの音楽家、プロを目指す音楽家なら、音楽の本質をとらえ、音楽の生成を感じさせ、音楽が生きているように演奏(作曲しなかったら)しなかったら(聴衆に音楽で興味を持たせなかったら)弾く権利、(作曲する)権利がないと言っていいくらいだ」

と僕は言いたい。作曲論はまだまだ言い尽くせないが、、、
あまりにも、地位とか、経歴とか、名誉とかに流され過ぎて音楽を聴いてはいないだろうか?
あまりにも、他人の耳で聴いた、既得権益の音楽を聴いてはいないだろうか?
あまりにも、自分の耳で聴いた音楽を聴いてないのではなかろうか?


そして、
すべての音楽家に、
あまりにも、音楽の本質をとらえず目先だけで音楽をしていないだろうか?
あまりにも、音楽の生成感を味わずに音楽をしていないだろうか?
あまりにも、自分の耳で自分の音楽を聴いてないのではなかろうか?


もちろん、
そういう事を感じて音楽をしっかりやっている人もたくさんいると思うし、そういう事を感じて音楽を聴いている人もたくさんいると思う。
そんな人たちを信じたいし、応援したいし、自分は常にそうでありたい。


Posted by HS at 03:10 AM | | トラックバック(0) | Permalink

July 18, 2005

音楽とは何ものか。1

 僕の尊敬する音楽家、指揮者のセルジュ・チェリビダッケは作曲から音楽について、とあるインタビューに答えている。

 作曲家が作った世界と言うものは存在しない。作曲家はこうすれば音楽ができる、単なる音を超越したものになれるという方法を示したにすぎない。だからそれ自体が存在しているわけではなく、演奏によってそれを越えたものが発生するかどうかということだ。
 生み出す側からいうと、楽譜を読んで頭の中にイメージがある。そのイメージは、曲の流れ、あるいはその流れる時間のなかに顕われるのではなく、<同時的>なものだ。部分部分を歌うのだけではなく、すべてが一体とならなければ音楽は生み出せない。それが音楽の才能というものだ。一つの音を出しながら、その音の中に曲のすべてがある。
 ある音だけがあるのではなくて、その音が次の音を含んでいる。それは時間との関わりにおいてあるが、時間の経過とともにあるのではない。フォルテがフォルテで終わってしまったら音楽ではない。


 こんなこと述べている。異能、異端指揮者として悪名?高いチェリビダッケ。しかしこれはまとを得ていると僕は思う。確かに音楽は、こんな簡単にはもちろん言えない。言葉不足である。そもそも、言葉で言えることかどうかも分からない。でも、確信をついていると思う。<同時的>なもの、<始まり>と<終わり>の<同時性>。音楽の生成、発生。これだけでも、多々な問題提起?かもしれない。
 
 ただ、これが少しでも分かれば、演奏家も聴衆も、われわれ作曲家も、音楽のテーゼを理解出来るのではないかとよく思う。
 自分の耳を信じて、自分の耳でイイと思ったもの。そういうものが世の中に溢れることが本当に重要だと思う。こういう世界になることを祈って。

 次回へ続く?

Posted by HS at 04:01 AM | | トラックバック(2) | Permalink